唱歌「広瀬中佐」と「荒城の月」に明治人の心を偲ぶ

命は誰のためにあるのか

岡城址よりの帰路、広瀬神社に立ち寄り参拝する。広瀬武夫の他千六百有余の御霊が祭られている。 いかなる戦の場で斃れられたのか、いずれにせよ国(日本民族)のために命をなげうった方々である。

生れた時代によっては、私も異国において、野ざらしとなり、わだつみの声となっていただろう。 そのことを思うと、私の命はこの御社に祭られている命のお蔭である。感謝と鎮魂の祈りを深くする。

広瀬神社には広瀬記念館がある。一階に柱のみの空間がある。 そこに旅順閉塞作戦で沈む船(広瀬の場合は福井丸)から退避する際に使われたボートと同じ型のものが置かれてある。

右舷最後部に広瀬はすわり、「みなおれの顔をみておれ、見ながら漕ぐんだ」 と隊員をはげましていたのか、とボートを撫でながら想像する。 突然、一片の肉片と血染めの海図を残して消えたのだ。むざんやなである。

命とは何か、命は誰のためにあるのか考えてしまう。

広瀬にあっては、それは「七生報国」(七たび生れて国に奉ぜん)であったと関係各書は語る。 その一つ、『ロシヤにおける広瀬武夫』(島田謹二・朝日選書)のなかで次のような記述がある。

彼女は熱にうかされたように体がほてっていた。その人(広瀬)のただ一筋の祖国愛にうたれたのである。 それは一つの国民の魂を信じて、それに帰依している男の信念だった。 これがこの人のたった一つの尊い目的になっている。その祖国愛から一切のものが出てきて、 一切のものが帰っていく。その祖国愛からこの人は内面の統一をみつけたのだ。

我々が祖国愛という言葉を失って久しい。公の為にという言葉も色褪せている。 『坂の上の雲』で西郷従道は利口ではないが、聡明であったという。聡明という字は、 公の心に耳をかたむけ明らかにしていく。利口は口を利く。東郷平八郎は頭脳ではなく、 心で統率したとも書かれている。表現は異るが共通するものをもつ。 今、我々は頭脳で利害得失のみを計り、口を利いてかけ廻る民族になりはててしまっていないだろうか。

広瀬は、同性異性を間わず好感をもたれていたらしい。 ペテルブルクではヴィルキッキーという若い海軍士官から「タケニイサン」といって慕われ、 二人のロシアの令嬢からも好意をもたれた。武夫の兄嫁が冗談めかして、 西洋人のアミーがいるかいないかさぐりを入れた手紙には次のような返事を書いている。

「仮二武夫ガ縁アリテ碧眼金髪ノ児ヲゴ紹介申ス期有之候ヘバ御義絶ナドト御憤慨被遊間敷ヤ」

恋の相手としては、アリアズナの名が知られている。武夫戦死の報に彼女は喪に服した。

五月二十七日午前十時より広瀬神社で慰霊祭がとり行われた。 神主のオ~~の降神の儀の音声は、神社を囲む木々の緑へすい込まれる。 神殿に向って左側に海上自衛隊呉音楽隊が並ぶ。真白い制服がまぶしいほどにすがすがしい。 儀仗隊が音楽隊の後方より進み出て、正面に向い十名横一列に整列する。弔銃が鳴る。 毎発射後、直ちに早いテンポで音楽隊が”命をすてて”を奏する。

弔銃は空砲ではあるが、それでものけぞるほどの衝撃音である。 「命をすてて」は儀礼曲十曲のうちの一つで、「儀礼曲の統一に関する通達」のなかに “命をすてて”葬送式における儀仗隊の敬礼及び弔銃の場合(弔銃のときは譜の八小節を速度早く、 毎発射後直ちに奏する)とある。当然、「君が代」「軍艦行進曲」も十曲の中に含まれている。

慰霊祭終了後、音楽隊の演奏を聞く。 「軍艦行進曲」、「海ゆかば」など五十分に及ぶ演奏に魅了される。 今ここで奏されている音楽は彼岸にある魂にとどいていることだろう。 百年前の魂と共鳴していることだろう。ステージ上の若き音楽隊員の大先輩達は日本海海戦時、 どのように存在し活躍したのか、と考えるが、そのあたりの知識は全く乏しい。