「からたちの花」考(改)

大正11年北原白秋と山田耕筰が一緒に創作活動に入って間もない頃、あるお酒の入った宴席で突然、耕筰が白秋に、僕は「からたち」に悲しい思い出がある。10歳のとき、父親が亡くなり自営館という夜学のある印刷工場に働きに出た。一万坪ある敷地の垣根は「からたち」だった。

大人の職工からぶたれたり、足蹴にされたりすると、からたちの垣根まで逃げ出し人に見せたくない涙を流した。そうした時、近くの畑で働いているおばさんが優しくしてくれた。これが白秋によって「からたちの花」の詩となったのです。

秋田県にかほ市象潟に後藤ヨシさんという方がおられました。この方は上野の音楽学校の生徒のとき山田耕筰先生から直接「からたちの花」の歌唱指導を受けられた方で”先生は本当に辛かった、悲しかった、だから「からたちのそばで泣いたよ」のところはどんなに長く歌ってもいい”と教わったことを私に話してくれました。

歴史ものの番組ではよくその人物の「心のうちに分け入ってみよう」という言葉が使われます。それを借りて白秋の「心のうちに分け入ってみましょう」

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

「これはからたちにまつわる山田耕筰の幼い頃の悲しい悲しい思い出の詩なのです」

からたちのとげはいたいよ。
青い青い針のとげだよ。

「青い青い…つまり幼い頃、君は辛い思いをしたんだね」
芽生えのときの青いとげは柔らかく痛くありません。青い青いは山田耕筰の幼い頃を、そしてとげは辛かったことを意味しているのです。

からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。

「そういえば、僕も10歳の頃、矢留尋常小学校へ通う道に畑があって、その垣根はからたちだったなぁ」

からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

「秋になると君は金色の実を刻んで生野菜と一緒に食べ空腹を満たしていたんだよね、その味は下手なサラダより数等うまかったんだよね」

からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかったよ。

「大人の職工から乱暴されるとからたちの垣根まで逃げ出し泣いた、そんなとき、近くの畑で働いているおばさんがやさしくしてくれた。それを聞いたとき、僕も君の10歳のころに戻っておばさんと一緒に慰めたかったのでみんなみんなにして、やさしかったと過去形にしたんだ」

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

「この詩は、君の幼い頃の辛く悲しい思い出、そして自営館生活におけるノスタルジアなんだよね」

人は悲しみが極まると言葉を失います。山田耕筰も作曲するにあたって辛かった思いに前奏で奏でる音を失い一音のみになったのでした。